はじめに
肥満症が引き起こす「全身の動脈硬化」と増加している「下肢の動脈硬化」
肥満症は糖尿病・高血圧症・高脂血症などをきたして、全身性の動脈硬化症を進展させ、重篤な心血管系疾患が発症する重要な原因となっています。動脈硬化は心臓だけでなく、足の血管にも起こります。中でも現在のところ、両側の下肢などに生じる末梢動脈疾患は増加の一途を辿っており、医療現場でも注視されています。
下肢動脈狭窄・閉塞症の主な治療法:バイパス手術とカテーテル治療
下肢動脈狭窄/閉塞症の治療には、患者さん自身の足の静脈(大伏在静脈という足の表面近くを走っている非常に長い静脈)や人工血管(ポリエステル製などの材料で作製されたもの)を用いて、血管の病変部を迂回する新しい(血液の)通り道を作ることにより、下肢の血流を再建するバイパス術が従来行われています。しかしながら、バルーンやステント(後述)などを用いたカテーテル器具により病変部を拡張する血管内治療術がはるかに低侵襲であり、最近はこの治療法が主として選択されています。
同じようにバルーンやステント(血管の内腔をチューブ状の金属で支える道具)を用いた拡張手技による血管内治療においても、心臓の血管(冠動脈)を拡げる手技と下肢動脈病変に対する拡張術では、手術器具ならびに術式などの点において多くの違いが存在します。
また、心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患と比較して、下肢動脈疾患はいまだに診療体系が十分に確立されていない状況にあります。冠動脈に対する血管拡張術(形成術とも言います)は器具も含めて治療方法は既に成熟した状況ですが、それに比べて下肢動脈領域はいまだに約10年の遅れをとっているといっても過言ではありません。
実は下肢の血管治療の歴史は古い
ところが実は、冠動脈血管形成術に比べて、下肢動脈拡張術は10年以上も前(1964年)に、アメリカのチャールズ・ドッターという放射線科医師により行われているのです(ちなみに冠動脈形成術は1077年にスイスの医師であるグルンチィヒにより初めて臨床応用されています)。それは糖尿病が原因で左下肢動脈閉塞症による足趾(足の指)の壊死に陥った82歳女性にカテーテル治療を行い、見事に成功に至ったものでした。この女性は、膝から下の部分を早急に切断する以外に救命出来ないと宣告されたのですが、頑として拒んでいた患者さんでした。ドッター医師は、その前よりカテーテル治療の研究を独学で行っていたのですが、その方法をこの女性に施して、わずか数分でやり遂げたのでした。術前には周りの医師達は誰もが「クレージー・チャーリー」と嘲笑ったのですが、患者の女性は全面的に彼を信頼して手術を依頼しました。その結果として壊疽の部分はほとんど治癒し、数年後に亡くなるまで達者に自力歩行が可能であり、ドッター医師には神様のように感謝し続けたと伝えらえています。
各治療器具による血管内治療後の病理像
下肢動脈は「非常に硬い血管病変」が多い
下肢動脈硬化症は、冠動脈や頭部に向かう内頸動脈などと比較して、石灰分が「ガチガチにこびりついた」石灰化病変が圧倒的に多く、非常に固い性状を呈しています。
ステント治療の利点と課題
カテーテル血管内治療は「治療後の内腔拡大の程度は大きいほど良い」との原則が有り、それ故にステント(血管の内側をチューブ状の金網で支える器具)の留置が有用です。特に下肢病変治療には「頑丈な構造と強い拡張力」を備えたステントが効果的であると考えられます。
しかしながら、その剛構造ゆえの弊害も発生します。たとえば浅大腿動脈(太股の部分に存在る動脈)は人体で最も長い動脈で、かつ常時多大な機械的ストレスにさらされていますが、その外的刺激に耐え切れずに、ステント留置後の中・長期的経過において、金属疲労により断裂するようなステント破損などの有害事象も起こり得ます。
柔軟なステントの開発と新たな課題
そこで、このねじれや屈曲などの複雑な血管運動に追従可能な柔軟性を有する「柔らかくて曲がり易いステント」が開発されました。これらのステントは血管の動きに合わせての曲げ伸ばし易さが重視されており、理論上は期待感が持てますが、留置後の病理学的検索では、その効果を肯定し難い所見も得られています。
これらのステントは屈曲し易さにこだわったあまり構造自体の脆弱化を招き、ステントの最も重要な特性である拡張能力を減弱させてしまうというジレンマに陥り、その結果として、前述した強固なステントとの実臨床における比較試験において、(特に複雑病変に対する成績では)顕著な劣性を示しています。さらにはステントの展開システムに難点が有り、留置時に(さらには留置後にも)過度にもたらされた屈曲反応によりステント構造の各部分が幾重にも重積する病理像が観察されています。また、拡張不全による血管壁への圧着不良(ステント材料がきちんと血管に密着せず、血管壁から浮いてしまう)などの所見も認められています。
新しい治療として注目される「薬剤溶出性バルーン」
そこで、以上のステント特有の問題点を解決するために、近年、薬剤溶出性バルーンが登場し、大きな脚光を浴びてきています。
これはステントなどの「異物」を病変部に残存さないことが大きなコンセプトであり、「長期的には不要である(支障にもなり得る)ゆえに、元よりステントは使用せず」という概念に基づいており、かつ、バルーンに塗られた薬剤が血管壁に放出され、これにより「再狭窄」に陥ることを防止しようとして考えられたバルーン拡張器具です。
「再狭窄」とは何か
ここで「再狭窄」という現象に関してご説明します。バルーンやステントなどのカテーテル治療は、全てが血管壁を「傷つける」ものです。傷が出来ると血管も生きている身体の一部ですから、その傷を修復しようとする機転が働きます。その修復組織がケロイドのように盛り上がって、血管の内側に突出すると、再び血管内腔は狭くなってしまいますが、この現象が「再狭窄」と呼ばれるものです。
この過度の修復組織の増殖を薬剤で抑えようという発想に基づく器具が薬剤溶出性バルーンであり、以上の考えは基本的には必ずしも誤りではありませんが、実臨床面では適応症例などに関して、現行のままでは多くの問題点が存在しています。
薬剤溶出性バルーンにも残る課題
繰り返して言及しますが、下肢の動脈硬化性病変は大部分が石灰化を伴って非常に固く、バルーンの拡張のみでは十分な内腔の獲得が困難で、結局はステント留置を必要とする場面に多く遭遇してしまいます。
また、血管組織内への薬剤の浸透・維持などの薬剤動態の点に関しても未解決の点が多く、現在まで使用されている薬剤の多くはパクリタキセルという、元々は組織・細胞毒性の強い抗がん剤ですが、この薬剤の不均等な血管壁分布により、薬剤が濃く貯まった部分では局所的な血管組織の変性・破壊が生じて脆弱化し、きちんと血圧を支えきれずに外側へ膨れ上がって「動脈瘤」が形成されるなどの危険性なども懸念されています。
まとめ
下肢動脈硬化症は予防が最も重要
これまで述べてきたように、病理学的見地からは下肢動脈に対する血管内治療に用いられる現行の治療器具には多くの問題点が存在します。
これは下肢動脈病変自体が非常に複雑な性状を示すため、治療器具開発の点で大きな困難性を伴っており、冠動脈のカテーテル治療で成功した原理が下肢動脈治療の臨床現場でそのままでは通用しないことにもよります。
筆者らの病理学的検討では、新規に登場した治療器具のほとんどが、下肢動脈の血管内治療に必要な特性を完全には満たしていないという結果を得ています。最初に述べたように、下肢動脈へのカテーテル治療では「強固な病変を可能な限り大きく拡大する」ということが最も重要なことであり、それには「強靭さと強力な拡張能、および血管に対する追従性」を備えたステントの性能が必須となります。
今後はこれらの問題点を克服した治療器具が開発されて行くことでしょうが、いまだに全面的に信頼できるものは見当たらず、理論上からは斬新な治療器具の構造には思えても治療の本質論から逸れているようで、いわば「角を矯めて牛を殺す」感が否めないように思われます。
今回のお話は少し専門的な内容となりましたが、結局のところは、常識な結論として「下肢閉塞性動脈硬化症の発症予防」が最も重要であると思います。
生活習慣の改善と肥満症予防が鍵
下肢動脈狭窄・閉塞症は下肢血管の動脈硬化が進展して末梢への血流が滞り、痛みや痺れ感、あるいは冷感などを引き起こす疾患です。また、間欠性跛行(歩くと下肢に痛みが生じ、少し休むと軽減する)と表現される特有の症状が出現します。これが悪化すると安静時においても痛みが生じ、さらにはドッター医師の逸話でも述べたように、下肢の先端部分より壊疽に陥り、切断を余儀なくされるという結果に至ります。
したがって以上のことを予防するには、厳密な血圧管理、適度な運動と食事内容による栄養管理、および絶対的な禁煙などが必須となりますが、これらはとりもなおさず「生活習慣の改善による肥満症防止の問題」に直結するものと思われます。
医師プロフィール
井上 勝美 先生