1. 序論:肥満症治療における「体組成」という新たな視点
現代の肥満症治療は、大きな転換点を迎えています。GLP-1受容体作動薬やGIP/GLP-1受容体作動薬(チルゼパチドなど)の登場により、これまで減量手術でしか到達できなかった20%前後の体重減少が薬物療法でも現実的な目標となりました。肥満症そのものを治療すべき疾患として捉え、その上流から糖尿病、脂質異常症、高血圧、さらには冠動脈疾患や心不全などの心血管疾患を予防する「メタボリック治療」の時代が到来したと言ってよいでしょう。
循環器領域でも、この変化は極めて大きな意味を持ちます。SELECT試験では、糖尿病を合併しない肥満患者に対するセマグルチド投与により主要心血管イベント(MACE)が有意に減少することが示され、肥満症治療そのものが心血管イベント抑制につながることが証明されました。肥満症治療はもはや美容や体重管理ではなく、心血管保護を目的とした疾患修飾療法(disease-modifying therapy)として位置付けられつつあります。
一方で、外来では「先生、10kg痩せました」と笑顔で報告してくださる患者さんに出会う機会が増えました。しかし、その数字だけを見て手放しに喜んでよいのでしょうか。
体重計が示す「10kg」の中身は決して均一ではありません。減少した体重の多くは脂肪組織ですが、一部は骨格筋を含む除脂肪体重(lean mass)でもあります。とくに高齢者や身体活動量の少ない患者では、適切な栄養・運動介入を伴わない減量によって骨格筋量や筋力が低下し、サルコペニアやフレイルを助長する危険性があります。
もちろん、現在のインクレチン関連薬は従来の極端な食事制限による減量と比べ、脂肪を選択的に減少させる割合が高いことが報告されており、体組成の観点からも大きな進歩を遂げています。しかし、それでも骨格筋量の低下を完全に防げるわけではありません。だからこそ、薬物療法だけに頼るのではなく、栄養管理と運動療法を組み合わせ、「脂肪は減らし、筋肉は守る」という視点がこれまで以上に重要になります。
肥満症治療の真のゴールは、単に体重計の数字を減らすことではありません。目指すべきは、過剰な脂肪組織を減らしながら、患者の「動く力」である骨格筋を維持し、身体機能と健康寿命を守ることです。言い換えれば、これからの肥満症診療では「どれだけ痩せたか」ではなく、「どのように痩せたか」が問われる時代になったのです。
本稿では、肥満症治療の有用性を踏まえつつ、骨格筋減少がなぜ問題となるのか、最新のエビデンスを整理しながら、明日から実践できる栄養・運動のポイントについて解説します。
2. サルコペニア肥満:肥満症治療で最も避けたい病態
肥満症治療において骨格筋の維持がこれほど重要視される理由は、「サルコペニア肥満(Sarcopenic Obesity)」という病態の存在にあります。サルコペニア肥満とは、肥満とサルコペニア(骨格筋量・筋力の低下)が同時に存在する状態を指します。
一見すると体格が大きいため健康そうに見える患者でも、体組成を評価すると筋肉が著しく減少し、脂肪組織が過剰に蓄積していることは決して珍しくありません。特に高齢化が進む現在、この病態は肥満症診療だけでなく循環器診療においても重要な課題となっています。
この病態が問題となる理由は、肥満と筋肉減少が互いを悪化させる「悪循環」を形成するためです。
過剰な内臓脂肪はTNF-αやIL-6などの炎症性サイトカインを持続的に分泌し、慢性炎症を引き起こします。この炎症環境は筋タンパク質合成を抑制するとともに、筋分解を促進し、骨格筋量の低下を加速させます。
さらに近年注目されているのが筋脂肪変性(Myosteatosis)です。これは脂肪が骨格筋内へ異所性に蓄積する現象であり、筋肉の「量」だけでなく「質」も低下させます。筋肉量が保たれていても筋力や身体機能が低下する背景には、この筋脂肪変性が関与していると考えられています。
一方、筋肉量が減少すると身体活動量は低下し、基礎代謝も減少します。その結果、エネルギー消費がさらに減少して脂肪が蓄積しやすくなり、インスリン抵抗性も悪化します。このように、肥満が筋肉を減らし、筋肉減少がさらに肥満を進行させるという負のスパイラルが形成されます。
こうした病態は、生命予後にも大きく影響します。近年のシステマティックレビューおよびメタアナリシスでは、サルコペニア肥満は単独の肥満や単独のサルコペニアと比較して、総死亡リスクおよび心血管イベントリスクを有意に増加させることが報告されています。また、高齢者では身体機能低下や転倒、要介護、入院リスクとも強く関連することが示されています。
循環器の視点から見ても、骨格筋は単なる運動器ではありません。骨格筋は全身のインスリン刺激下における糖取り込みの主要な臓器であり、糖代謝維持に中心的な役割を担っています。また、下肢骨格筋は歩行時の静脈還流を促進する「筋ポンプ」として心拍出量を補助し、運動耐容能の維持にも不可欠です。
そのため骨格筋量の減少は、糖代謝異常やインスリン抵抗性の悪化だけでなく、身体活動量の低下やフレイルを介して心不全の発症・増悪にも関与すると考えられています。実際、心不全患者ではサルコペニアや筋脂肪変性の合併率が高く、これらは予後不良因子として数多く報告されています。
だからこそ、肥満症治療では「体重を減らすこと」だけを目標としてはいけません。
減らすべきなのは脂肪であり、守るべきなのは筋肉です。
この視点を失うと、体重計の数字は改善しても、患者の身体機能や生活の質、さらには生命予後まで損なう結果になりかねません。肥満症治療の成功とは、「脂肪だけを減らし、筋肉という生命のインフラを守り抜くこと」に他ならないのです。
3. インクレチン関連薬は筋肉を減らすのか? ― 体組成から考える最新エビデンス
ここまで「筋肉を守る重要性」を述べてきましたが、多くの医療者が気になる疑問があります。
「GLP-1受容体作動薬やGIP/GLP-1受容体作動薬は、本当に筋肉を減らしてしまうのだろうか。」
近年、SNSや一般メディアでは「筋肉まで落ちる薬」「サルコペニアになる薬」といったセンセーショナルな表現を目にする機会も少なくありません。しかし、現在得られているエビデンスを冷静に見直すと、そのような単純な結論にはなりません。
むしろ重要なのは、「筋肉が減るかどうか」ではなく、「どの組織が、どれだけ減ったのか」という体組成の変化を正しく理解することです。
ウゴービ(セマグルチド)やゼップバウンド(チルゼパチド)は、従来の食事療法では達成が難しかった15~20%を超える体重減少を実現し、糖尿病、高血圧、脂質異常症、さらには心血管イベントの抑制にも大きく貢献する、まさに肥満症治療のゲームチェンジャーとなりました。
その一方で、これほど大きな体重減少が生じれば、脂肪だけでなく除脂肪体重(Lean Mass)がある程度減少することは、生理学的にも避けられません。
ここで参考になるのが、SURMOUNT-1試験のDXAサブ解析です。
チルゼパチド15 mg投与群では、平均約21%という大幅な体重減少が得られました。この際、減少した体重の約75%は脂肪組織であり、除脂肪体重(Lean Mass)の減少は約25%でした。
この「Lean Mass」は骨格筋だけではなく、水分や臓器、結合組織なども含む概念であるため、「筋肉が25%失われた」と解釈してはいけません。むしろ、これだけ大きな減量を達成しながら脂肪組織が主体として減少していたことは、従来の食事療法単独と比較しても良好な体組成変化と考えられます。
さらに興味深い点として、減少した除脂肪体重の一部は、体重減少に伴う細胞外水分や支持組織の変化を反映している可能性も指摘されています。一方で、脂肪量の減少率はLean Massを大きく上回っており、結果として体組成に占める脂肪の割合は大きく改善します。
つまり、「筋肉が減った」という事実だけを見るのではなく、「脂肪がそれ以上に減った結果、体組成全体は改善している」という視点が重要なのです。
実際、SURMOUNT試験やSTEP試験では、身体機能やQOLを評価する患者報告アウトカム(IWQOL-Lite、SF-36など)でも改善が認められており、多くの患者では「軽くなった身体で動きやすくなった」という臨床的な恩恵が得られています。
また、GIP受容体作動作用には、骨格筋におけるエネルギー利用や脂質代謝を改善し、筋蛋白異化を抑制する可能性が基礎研究で示唆されています。ただし、この筋保護効果については現時点ではヒトで十分に確立されたエビデンスはなく、今後の検証が待たれる段階です。
したがって、現在のエビデンスから言えることは明確です。
インクレチン関連薬は「筋肉を減らす薬」ではありません。
一方で、「筋肉を自動的に守ってくれる薬」でもありません。
薬物療法によって脂肪を効率よく減らせる時代になったからこそ、その効果を最大限に生かすためには、十分なタンパク質摂取とレジスタンストレーニングを組み合わせ、骨格筋量の維持を積極的に支援することが重要になります。
つまり、薬が「脂肪を減らす」役割を担うのであれば、医療者の役割は「筋肉を守る」ことにあります。
これからの肥満症診療では、体重計の数字だけを見る時代から、「体組成を診る時代」へと発想を転換する必要があるのです。
4. 骨格筋を守るために―明日から実践できる3つのポイント
インクレチン関連薬によって、安全かつ大幅な減量が可能となった現在、医療者の役割は「体重を減らすこと」から、「質の高い減量を実現すること」へと変化しています。
そのために重要なのは、栄養・運動・体組成評価の3つをセットで考えることです。
① 十分なタンパク質摂取を意識する
インクレチン関連薬では食欲が大きく低下するため、総摂取エネルギーだけでなくタンパク質摂取量も不足しやすくなります。エネルギー不足が続くと、体内では筋タンパク質の分解が進み、骨格筋量の減少を招く可能性があります。
ESPENガイドラインでは、減量中の患者では十分なタンパク質摂取が重要とされており、高齢者やサルコペニアリスクの高い患者では少なくとも1.0~1.2 g/kg/日、可能であれば1.2~1.5 g/kg/日を目標とすることが推奨されています。
難しく考えすぎる必要はありません。
まずは毎食、お肉・魚・卵・大豆製品を最初に食べましょう。
こうした工夫だけでも、食事内容は大きく変わります。
② 有酸素運動だけではなく、筋力トレーニングを組み合わせる
ウォーキングやジョギングは心肺機能や脂肪燃焼には有効ですが、骨格筋量を維持する効果は限定的です。
骨格筋を維持するためには、レジスタンストレーニングを併用することが重要です。特別なジムや高価な器具は必要ありません。
椅子スクワット10〜15回を2〜3セット
カーフレイズ(踵上げ)20回×2セット
などを、週2〜3回から始める程度でも十分です。
特に大腿四頭筋や大臀筋など下半身の大きな筋群を刺激することで、筋タンパク質合成を促進し、減量中の筋量維持が期待できます。
「薬が脂肪を減らしてくれるので、筋肉はご自身で守りましょう。」
③ 体重だけではなく、体組成も評価する
外来では体重だけを評価してしまいがちですが、それだけでは減量の質はわかりません。
可能であればBIA法による体組成計(InBodyなど)を用い、
- 骨格筋量
- 骨格筋量指数(SMI)
- 体脂肪率
を定期的に確認することが望まれます。
AWGS2019では、SMIの基準値として
男性:7.0 kg/m²未満
女性:5.7 kg/m²未満
がサルコペニア診断の基準として示されています。
もちろん、肥満症外来の目的はサルコペニアを診断することではありません。
しかし、体重は順調に減少しているにもかかわらず骨格筋量が急速に低下している場合には、「減量の質」に問題があるサインかもしれません。
そのような場合は薬剤の増量を急ぐのではなく、食事や運動療法を改めて見直すことが重要です。
5. 結びに:「良い減量」とは何か
これまで肥満症診療では、「何kg痩せたか」が成功の指標でした。
しかし、これからは違います。
体重が10kg減っても、その多くが脂肪であれば成功です。
一方で、筋肉を大きく失ってしまえば、たとえ体重計の数字が改善しても、患者さんの身体機能や健康寿命は損なわれる可能性があります。
つまり、私たち医療者が目指すべきなのは、
「体重を減らすこと」ではなく、「体組成を改善すること」
なのです。
肥満症治療は新しい時代に入りました。
だからこそ、薬剤の効果を最大限に引き出すためにも、栄養・運動・体組成評価を組み合わせた包括的なマネジメントが、これからの肥満症診療の標準になるでしょう。
参考文献
- Jastreboff AM, Aronne LJ, Ahmad NN, et al. Tirzepatide Once Weekly for the Treatment of Obesity. N Engl J Med. 2022;387:205-216.
- Look M, Frias JP, Rosenstock J, et al. Body composition changes during weight reduction with tirzepatide in the SURMOUNT-1 study of adults with obesity or overweight. Diabetes Obes Metab. 2025.
監修
牧野 憲嗣 先生